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あっという間に一年が終わりました。
今年の初日の小言を見直します。
コロナ渦のせいか、とにかく前へ進む以外ないな、と
そんなスタートでした。
実際のところは、やはり成り行き次第。目標も目的も
明確にせずに毎日を過ごしました。
ツイッターはほぼ毎日発信していましたので、
仕事や生活について記録は残しました。
この数年で考えていることは、自分の会社や自身の目標よりも
若い人にいかに人生を楽しんでもらえるか、
老人の方に今後どうやって若い人たちへの力になってもらえるか、
といったことです。自身の会社すらちゃんと運営できていないのですが、
結局死んでしまった後に残るものって何だろうなあ?と思うと、
やはり次の世代を生きる若い人に何かを伝えておくのが一番かな、と
現在のところそういう結論に至っています。
Z世代と呼ばれる今の彼らが、将来40〜60代の先輩を
使えないゴミ扱い、それ以上の人たちを福祉で食いつぶす世代、
そんな風に見るようになる可能性もあります。
もしかすると、DX革命をうまくやってくれて、すべての人が
安全に安心して争いなく、無駄な死を無くすような技術やシステムを
構築して、平和な時代を作ってくれるかもしれません。
まあ、いろんな人間がいるからこそ成長というものが生まれるわけですから、
善と悪が共存する必要はいつの時代にもあるように思います。
なので後者は理想論ではありますが、目標としては良いのかな、と。
人生、どうやって生きるかを悩んでいる若者に、
人生の失敗談としての私を伝えていければ、と思うわけです。
世の中の本や、ユーチューバーなんかは結局のところ
成功論で成り立っているわけで、
日ごろから家賃や部品の支払いに追われ、金を払わないどうしようもない
人間からの集金や、えん罪とまではいかないけれど、
こちらが悪者になるようなことまで、
失敗のほうが面白い人生だなと思うわけです。
私が考える成功の人生というのは、
子供をちゃんと育てる、
ということです。お金や資産、権威などの誰かと比較したものさしは
どうでもよいことです。
最も大事なのは次の世代に生きる人に、人生を考えてもらうことです。
そんな風に思った一年でした。
来年はそれを現実的に実行したいな、と思っています。
ま、近所の子供たちは屈託のない笑顔でいつも迎えてくれます。
人生の楽しさをもらっているのは私の方かもしれません。
この一年ありがとうございました。
明日からまた精進しながら、若い世代につなぐ何かを進めていきたいと
そう思います。
矢田拝
世の中どうなるかわからない状態で今年もあと2週間。
いろいろ悩んでいます。今日は暗くて長いブログです。
仕事のこと、生活のこと、未来のこと、世の中のこと。
今はもう 生活=仕事 なので、今後の仕事のことを考えて
それが世の中の誰かの役に立つことであれば、死ぬまでそれでいいかな、と
そう思う今日この頃です。
今年はたくさんの知人友人そして身内が死にました。
いろいろ思うことがあります。でもそのことは書きません。
今日、記録に残しておこうと思ったことは、今後の仕事(=生活)です。
10月にひと月休むつもりで、一気に店の改装や整理をするつもりでした。
ところが、店の二階に住んでいて、電話も仕事用とプライベートを
分けているわけではないので、ほぼ毎日仕事の電話が何回も入りました。
メールも毎日何十通、店先で会う人もたくさん。計画は失敗でした。
仕事の依頼は、一応11月以降になんて返事をしたものだから、11月からは大変なことに
なっていたわけですが、そんなやり方だったから10月は大失敗の月でした。
店先のドアを開けて、荷物を出し入れしていたら、パンク修理できますか?
とお客さんがやってきたり、暇な年金生活者の方が覗き込んで来ては
1時間話しかけてくる。店先のベンチは午前中は陽が当たり、のんびり座り込んで
話すにはとっても居心地がよさそう。
店先にバイクを出したらパトカーがやってきて、苦情が入ってるなんてのも何度も。
店先の水道工事で通行止めになっていて作業がやりづらいにもかかわらず、
やっと通行止めじゃない日は出せると思って出したらパトカーです。
今日はこのノルマをこなしておきたいなと決めた日はのんきに話をして日が暮れ。
ま、ひとつきも休むつもりだからあわてなくていいか、と次の日にずれ込み、
そんなのがズルズルと。。。
結局、簡単な仕事は毎日してしまって、本当にいったん仕事を止めているのか?と。
休んだのか休んでないのかわからないまま、10月が終わりました。(一日も休んでない)
一緒に働いてくれる予定の方も、突然の病気がわかり、その手術やらなんやらで2か月以上入院。
ま、しょうがないので、ひとりで黙々と進めていたわけです。
で、11月12月は予約をたくさんもらっていたのでそれをひとつずつ消し込んでいき、
いまやっとあと10件くらいまで。年末までちょうど終わらせることができるかな、と。
その状態になりました。でも今でも深夜11時に仕事が終わることはほとんどありません。
明日の段取りとかやっていたらいつの間にか日をまたいでいます。
何やってるんだワタシ?
振り返ってみて思うんです。(毎度のことです)
なんのために働いているのかな?
皆さんはご家族のため、ご子息のため、自分の趣味のため、老後の資金のため、
いろいろあると思います。
私は、たったひとつです。
来月の家賃を払うため。
それ以外に目的はありません、とくにこの10年。夢はあっても実行できず。
本当にそんな感じで仕事をし、生活をしてきました。
52歳になって体も無理が効かなくなってきたのを実感し、
これではいかん。倒れたら終わりだ!
ちょっと健康にも気を使って運動もしないとなあ。。。
と思っていた矢先に、同じように考えていた(のかは定かではない)叔父が
健康のために通っていたジムでコロナをうつされてしまったらしく、4人家族全員感染。
バラバラにホテル住まいとなり、ひと月後に叔父だけ灰となって帰宅しました。
そんなこともあったし、ママも突然いなくなってしまったし、しばらく会ってなかった
友人、知人の突然の訃報もいただいて、本当に嫌な年でした。
オリンピックで盛り上がっていたのは、子供たちへの夢を与えるいいことなんですが、
心の奥では、オリンピックも見たかっただろうなあ、と故人への思いをはせる日々でした。
日本人の大半はファクターXとやらを持っているので感染が広がらなかったという
研究結果がつい最近発表されたようですが、これが本当なら、
私の家系はそのDNAを持っていないことが証明された、
ので私はコロナに対しては耐性がないことをさらに自覚しているところです。
こんな状況で生きていくには、毎年注射を打てと言われたら打つしかないな、と。
身近な人がコロナにかかってなければ、ややなめていたかと思いますが、いまは
正直、他人がどうあれ現実を見て自分は行動しないといけないな、と。
ま、世の中がコロナのせいで、意見が対立したり、喧嘩したり、イライラしたり
しているのも、1回の人生の中では非常にもったいない時間だなあとも思うわけです。
で、家賃を払うために生きて、なんとか払えたら、残ったお金でメシを食う。
ときどき多めに利益が出たら、ちょっと外食してみるか、とか
旅にでも出たいなあ、なんて思うわけですが、やはり対コロナ。
あまりウロウロできません。
倉庫にバイクもたくさんあって、今が売り時!とみんなに言われるんですが、
今は、頼まれている仕事が大量にあって、それどころではない。
もちろんそんな仕事断って、倉庫のバイク売ったほうが儲かるんです。
待ってくれている作業が本当にこちらの人生を変えるほどの価値があるのか?
というとそれも相手がそう思っているかわからないのですが、
困っているんならしょうがないか、と。
店と倉庫と光熱費、事業保険の経費を時間で割った最低の工賃よりも安い値段で
作業をしていることが多いです。
一応二名体制で仕事をすると従業員に給料15万円しか払えないけれどそれでも経費は
74万円ほどかかります。74万円の利益を出すのは結構大変です。売上ならまだしも
利益ですから。
で、お金が足りなくなったら社長自らバイトに出ます。更年期のせいで
あまり寝なくてもいいので夜間のバイトも苦ではありません。家賃のためです。
倉庫のバイク売れば?というのは確かに正しいのかもしれませんけれど、
そのまま売る気もさらさらなく、ほとんどのバイクの思い出が
自分の生きる糧になっているわけです。
思い出っていいですね。ノスタルジーに浸るわけでもないですが、
バイク見ていると、
ああこのバイクあの人があんなことしてこんなことして
ぶっ壊したやつだ。
と、それをつまみにビールが飲める。
あのラリーに出たときのあのマシン。まだお前ココにいるのか。
二度とアフリカなんて行かねえぞ!
と嫌な思い出ばかりのパリダカを思い出しながら、ラリーで死んだ仲間に
乾杯してビールを飲む。
暗いぞ。
バイクはもっと明るく楽しく乗るもんだ。見知らぬ土地に出かけて、新しいなにかと
出会うためのものだ。帰る場所があれば、思い出を持ち帰って伝えていけるけれど
帰る場所がない人にとっては、人生は前に進むだけ。
そう、すべてをリセットして楽しくバイクに乗って旅がしたいな。
もう体力もあまりないから、世界中をとりあえず旅して、その土地土地でバイク借りて
のんびり田舎町を走りたいねえ。
世界中でやってるレースを見に行きたい。出られるクラスがあるなら一緒に走りたい。
マン島は死ぬまでに行かないとなあ。
そんなことも思ったりします。
あと、いままでせっかく覚えた技能や技術、学んだ知識なんかを
後輩に伝えておかないと、死んだらただの灰。
あー、それもやっておかないとだめだな。
こんなことも考えているわけです。
お金?
あればいいんでしょうけれど、使い道がどうせバイクか旅だから、お金じゃなくて
直接バイクが触れて、旅ができればそんなに要らない。
だからいま家賃を払うための現金や仕事を進めるための現金は欲しいけれど、
贅沢をするためのものは要らないなあ、と。守る家族もいないし。
どうせ死んだらお金なんて残されたもののケンカの種になるだけだしね。
使うなら若い人の夢に使いたいね。どこかに寄付してもちゃんと使われるか
わからないし、わけのわからないベンチャーに遊びで使ってもらうのも嫌だし。
だったら牛丼の一杯でもおごって喜んでくれる夢のある貧乏な若い人に
次につながるための良いことをしたいな、と思うわけです。
そういう思い出は、必ず次の世代の若い人につながるんです。私がそうだから。
最近はいなくなったけど、河原に住んでたブルーシートのおじさんに
酒もっていったりするのは、残りの人生なんか面白いことを考えてみてよ、
とただそれだけなんですけどね。若くないからまあ死ぬことを
考えて生きているんだろうけれど、文句ばかりの人生よりは面白いことを
考えてくれたらいいなあ、と。
終活ってわけではないですが、コロナのせいで、結構参っている自分が
いることに最近気が付いています。
リセットしたいなあ、
20年前に彼女と別れた時にも同じような感覚でした。
別に嫌いになったわけではない。本当に好きだったのにリセットしたくなった。
よくわからない感覚です。今も仕事が大好きです。でもリセットしてしまいたいなあと
思うことも多いです。
ここまで書いて、おせっかいに、それは鬱ですよ、という人がいるんです。
そんな評価は要りません。人生、決断で失敗して後悔することだらけです。
それを病気のせいにして自由を奪うのはもっとひどい仕打ちです。
失敗を恐れずに生きていけるのは自由があるからです。私は15歳のときに自由を
選びました。なのでいまも自由に仕事をしています。鬱ではありません。
でもこの感覚が同じようにわかる人は、あまりいないです。いままで何千人と
出会って話した友達や相手がいると思いますが、数えるほどです。
話さなくてもわかるんです。同じ雰囲気の人と会うと。
もしかするとそれを探すための旅なのかもしれませんね人生ってのは。
今日は結構ブルーなことを書きました。たまにはいいでしょう?
倉庫と店にあるバイクや機械類、全部で3000万円で売ります。
私に自由をください。この数字は適当ではなくて、ちゃんと
計算した数字です。臨時収入として納税額計算して、
いまの会社の借金返すとほぼ残りません。
なので3000万円です。それ以下なら売らないほうがいい。
ま、宝くじでも当たった人以外は誰も買ってくれるとは思いませんので、
私があと50年くらいかけて返します。
その頃はAIがすべての行動を判定して、
お前のその判断は間違っているから犯罪!!
ってことになってAI反逆罪で刑務所かな?ま、それも人生。
でも自由だけは奪われたくない。制限とか条件はあってもいいけれど
本質的な自由は必要。
それは、「考えて行動できる」というものです。
明日は明るいことを考えます。おやすみなさい。